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 翌日は、ちょうど具合よく、日曜日だった。
 リナやユイコが行ってた小学校は学区が違う。ちょっとだけ遠出をすることになる。でも、その傍にも中学校はある。行ってみると、体育会系の部活が校庭で部活動をしていた。ソフトボール部やサッカー部。ユニフォームやジャージ姿の集団が走り回っているのを遠くから眺めながら、私は、とりあえず図書室あたりから人を探してみることにする。
 休日だから制服じゃなくても簡単に入れたんだろう。離れの図書館に入ると、ちょっと埃っぽいような匂いの中で、窓から光が差し込んでいた。静かな図書室で何人かの生徒が話し合いなんかをしている。誰が同級生かな。なんとなく、私は、図書室の先生に声をかける。リナやユイコの学校の卒業生がいるかと聞いてみたら、簡単に何人かを呼び止めてくれた。話しかけると、意外に簡単に証人を見つけることが出来た。
「間宮さん? 知ってるよ」
 おとなしそうな、眼鏡の女の子だった。リナの名前を出すと顔をしかめた。
「私はクラス違ったけど、すっごい虐められてるっていう話、有名だったもん。私も間宮さんの下着とかが掲示板に貼られてるの見たことあるし」
「下着?」
 彼女は周りの生徒たちと顔を見合わせる。ためらいながら、口に出した。
「なんかさ、あの子、むちゃくちゃいじめられてたんだよね。―――クラス全体から」
「え…… なんで」
「きっかけはわかんない。なんか事件あったみたい。でも、いつも見てたよ。袋かぶって歩き回ってるの」
 袋?
 話を総合すると、現れたのは、今のリナからは想像もできない少女の姿だった。
 ―――いつも、紙の袋をかぶらされた、女の子。
「間宮さんの顔をみると吐き気がする、とか言われてさ、いつも紙袋に目の穴あけたやつをかぶってたの。でもさあ袋を取られたりするとバッテン一つ。みんなをイヤな気分にさせた罰に、バツゲーム」
 どうかしてるよね――― 眼鏡の子は吐き捨てた。
「モップの柄を自分で股間に突っ込めって言われたり、男子の前で犬みたいに片足あげておしっこさせられたり、いろいろひどいことさせられてたみたい」
「……それ、先生は何も言わなかったの?」
「間宮さんが認めなかったもん。……認めたら、だって、間宮さんがもっともっといじめられることになるじゃん」
 そんないじめは、小学校5年生くらいの頃から、6年生の夏休みくらいまで続いたらしかった。
 リナは奴隷で、みんなのピエロで、サンドバックで、リナがひどいめにあうとみんなが笑う、そんな存在だった。ひどい怪我をすることも何回もあったけれど、リナはそれを隠し続けていた。骨折したときにはさすがに問題になりかけたらしいけれど、リナはあくまでいじめられているということを隠し続けた。リナを支配していたのは恐怖だったんだろう。本当のことを言うともっといじめられる。もっとひどい目にあう。もしかしたら殺されるかもしれない――― そんな恐怖心は私にもなんとなく分かるような気がした。
 目のところに穴のあいた袋を被った女の子の姿が思い浮かぶ。まだか細い手足、長袖のぶかぶかのTシャツと、安いデザインのジーパン。そんなみじめな姿は私の知ってるリナとはまるで違う。天使の輪ができるようなつやつやした髪の毛と、どっかのアイドルみたいな大きな目をしたリナとは、ぜんぜん違っている。
 でも、リナは、変わった。
「でも、事件があったんだよね」
「何……?」
「死んだの。間宮さんのクラスの子が。教室の窓から落ちて」
 眼鏡の子は周囲をすばやく見回すと、図書館の先生が遠くにいるということを確認した。周りの子たちと顔を見合わせる。それぞれ、誰が言い出すかを迷ってるようだった。私は思い切って問いかけた。その不吉な答えが、すでに分かっているような気がしながら。
「……その子、リナに殺されたんじゃないの?」
 眼鏡の子は、ためらいがちに頷いた。
「そういう噂、流れてた」
 私は違うクラスだからあんまり知らないけれど、と彼女は前置いた。
「でもね、少なくともみんながそう信じてたのは本当だと思う。死んだ子は間宮さんを虐めてた首謀者の一人だったし、そのときには同じクラスに何人も別の生徒がいたみたいだったから。でも、後になったらみんな、『その子がふざけてて窓からおちた』って言ってたみたいなの」
 ……彼女はさらに声を潜めた。
「間宮さんに脅されてたんじゃないか、ってみんな思ってた」
「……」
「……それから、間宮さん、変わったよね」
 うん、と他の生徒もためらいがちに頷いた。表情には怯えが濃かった。
「なんていうか、たぶん元からキレイな子だったと思うんだけど、紙袋脱いだところなんて、同じ人だとは思えなかった。別人になったみたいだった。それからの間、卒業するまで、クラスの人はみんな間宮さんの言いなりだったし」
「それって、いじめの対象が移っただけだったんじゃないの?」
 私が言うと、眼鏡の子はきまずそうに顔をそらした。答えは明らかだった。―――リナは、奴隷の立場を抜け出して、思う存分復讐の手を振るったのだ。
 気まずい沈黙の中、私は思う。
 なぜ、リナは、変わったんだろう?
 リナに、何があったんだろう。
 なにか、そこには、ただゲームの対象者が変わったという以上の、何かがあるような気がした。
 たとえばユイコはクラス全体の道化から、リナの奴隷へと立場を変えただけだ。私はリナの奴隷から、クラス全体の奴隷へと変わっただけだ。その変化は単純なもので、理解しやすい。でも、クラス全体の奴隷から、クラス全体の女王様に変わる? そんな劇的な展開なんてものが、何の理由もなく起こるとは思えない。
 リナは何をしたの? どうやって変わったの? 誰かに踏みつけられる立場から、踏みつける立場に変わったの?
 

 帰り道は、真っ赤な夕焼けだった。
 バス停には誰もいない。住宅街の向こうに日が暮れる。鉄塔がシルエットになり、長い送電線が空をばらばらに分断する。雲の端が黄金に輝き、東の空からはゆっくりと藍色が迫ってくる。
 私はずっと、黙ったまま考え込んでいた。流星は何も言わずにバス停の看板の上に座って足を揺らしていた。ちいさく口笛を吹きながら。でたらめなメロディが聞こえてくる。
「……流星」
 私が呼びかけると、口笛が、止まった。
 流星が私を見た。銀色の目。私は、ゆっくりと、言った。
「明日は、また、月曜日だね」
「そうだね」
 私は一瞬目を閉じる。苦痛に耐えるように。
 ―――明日から、私はまた、奴隷になる。
 体育の時間には制服を隠される。切り刻まれた服がこれみよがしに焼却炉の中に放り込まれる。机の中には頭を潰され白目を剥いた猫の屍骸。トイレに入れば頭上から汚物交じりの水が降って来る。
 たった一週間。たったの、一週間なのに、私はもう耐えられない。これからもこの地獄が続くことを知っているから。ずっと、ずっと、ゲームが続くことを知っているから。
 もしかしたら、ゲームの鬼は誰かに移るかもしれない。でも、私が奴隷であるということは変わらない。私はリナのために猫を殺し、生ゴミを腐らせて、誰かの制服の上におしっこをする。その苦痛は続く。永遠じゃない。三年間だ。けれども、三年という時間は、まだ13年しか生きていない私にとっては、永遠と同じくらいに長い。
 でもリナは、そのゲームに打ち勝った。
 戦うという方法で、ゲームを打ち破り、勝者の座へと上り詰めた。
 私は目を開く。流星は私を見る。ゆっくりと、言う。
「逃げ出す? 戦う?」
 逃げ出しますか、戦いますか、Yes/No、Yes/No?
 私は答えた。

「私は――― 戦う」

 流星はふわりと微笑んだ。その笑顔は、まるで、天使のように愛らしかった。



 

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