3.



 『いづな屋』に件の男が現れたのは、昨日ならばだいたい11時前後だった。今日もそれくらいの時間にあらわれる、と考えるのだったら、今日もそれくらいの時間には『いづな屋』へいることが望ましい。マリエがえらく早朝から洋介を呼び出した理由もそれだろう。洋介が慈郎の指示で慈郎と腕を組み(手を引くよりもこちらのほうが歩きやすいのだそうだ)、三人は地図を手にうろうろと周辺を歩き回った。
「あのね、この辺ってば神社が多いわけなんですよ。わかる?」
「やっぱ古い土地柄だからですか?」
「そそそ。道祖神とかあちこちにいるし、ちっちゃなお社だったらそこらじゅうにあるね。商店街の裏にもあるし、あと、でっかいところだと白幡神社。マンションとかの住人はさすがにあんまり絡まないけど、毎年お祭りとかやってるし。いちおう宮司さんもいるらしいから」
 でも、なんで神社なんだろう。そう思っているはしから、マリエが前に指を差し、「お社発見!」と声を上げる。
 裏山の細い道。小さな石の地蔵が並び、朽ちかけた社がひとつ。ちいさな社の中を覗きこむと、古ぼけた銚子が埃をかぶっていた。打ち捨てられた様子のちいさなお社だ。けれど、なぜだか知らないが、社の入り口の当たりには、1円やら5円やらという小銭が散乱していた。
「おお。何を祭ってるっぽい?」
「ええーと、鏡があってぇ…… ちょっと分かりませんね。あんまり由来とか書いてない」
「狐はいる? あと、稲とか、あとクリみたいな形をした丸っこい珠」
「ありませんね」
「じゃ、ハズレだ。ここは違う」
 慈郎が断言するのが、洋介には不思議でならない。さっきから出入りしている神社の中でも、慈郎は『これはあたり』『これはちがう』とすぐに断言をする。
 微妙な顔をしている洋介の顔を、地図を手にしたマリエが覗き込む。「どしたの?」とにんまりと笑いかけられ、洋介は一瞬口ごもる。
「……」
「当ててあげよっか。どこが『アタリ』で、どこが『ハズレ』か、わかんないんでしょ」
「ううっ……」
 慈郎はあっさりとした口調で言った。
「ま、すごくシンプルな答えってヤツですよ。あててごらん」
 やっぱりこの人はマリエの『師匠』だ。なんで自分のことをこういう風に弄繰り回そうとするんだろう、と恨めしい思いで思う。そして、それがなによりもマリエを喜ばせる反応なのだった。嬉しそうに笑っているマリエのよこで、洋介はうんうん言って考え込んだ。
「ええーと、うーん、さっき言ってた『狐』とか『稲』ってのが関係あるんですよね?」
「うんうん」
「そういうのを祭ってる系の神社を探してるんですか?」
「……75点!」
 マリエの答えに、洋介はがっくりと肩を落とす。
「もう、最初から正解できないってわかってるんだったら、設問を出さないでくださいよ!」
「洋介くんの困ってる顔を見るのが楽しいんだもん。ま、いいや。答えとして言わせてもらうとねぇ、結局、あたしら今、『稲荷神社』を探してるの」
 稲荷神社?
「洋介くんだって見たことあるでしょうが。ほら、おキツネ様を祭ってるアレね」
「稲荷神社ってのは、日本でいちばん数が多い神社って言われてるんだ。江戸時代に曰く、「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」ってね。現在だと産業全般の神様として祭られてるから、意外とバンバン増えてるらしい。日本全国の稲荷神社をあわすと、なんでも、2〜3万社あるっていうデータもあるくらいでね」
「ふはあ……」
 感嘆の声を漏らす洋介に、くすりと慈郎が笑った。
「そこいらのビルの上とかにある神社とか鳥居、あれもよっぽどのことがないかぎりは『稲荷』らしいね。まあ、このへんを見て回っただけでこんだけあるんだから、分かるだろ?」
「そうですね!」
「素直でよろしい」
 慈郎はにこにこと洋介の頭を撫でた。……気が付いてみると、女のしては背の高いマリエ、ひょろりとした長身の慈郎にはさまれて、一番背が低いのは洋介なのだった。すごく釈然としない気持ちになる。
「でも、なんで稲荷神社なんですか?」
「そのへんは、まぁ…… そうさな、次の目的地が本命だから、そこへ行ってみれば分かる、かな」
 高見、と呼びかけられて、「はあい」とマリエは答えた。地図を見合わせながら先を見ると、そこだけが刈り残しのように残った鎮守の森がある。周りをビルに囲まれて、なんとも所在無げな風情。枝に絡んで垂れ下がった藤が淡い色の花を咲かせていた。
 前までいくと、近くに消防団の倉庫がある。小さな家があり、掲示板にポスターがべたべたと貼られていた。どこにでもあるような、普通の神社だ。特に人が多いわけでもない。小学校できもだめしに使われるような、とでも言うべきか。石段が上へと続いていた。手すりも無いし、苔が付いてぬめっている。慈郎が転んだらどうしようと、自然、洋介の腕に力が篭る。
 うす紫のしゃがの花、雨風にさらされて褪せた色の鳥居。けれど、いくつも鳥居がつらなって、トンネルのようになっている風情が、たしかに『稲荷神社』らしいといえば、いえた。
 一番上まで登りきる。ぼろぼろになったお社があり、石の灯篭と、よだれかけをつけた石の狐。けれど。
「……あれ」
「どうよ、高見、洋介くん」
 なんか気付いたことはあるかい、と慈郎がのんびりという。マリエと洋介は、顔を見合わせた。
「……ええと、思ったより、きれいっていうか……」
 どう表現するか迷っている洋介に、けれど、マリエの方の指摘は、より具体的だった。
「草がきちんと毟ってありますね。あと、お社に花が供えてある」
「……あ!」
 言われてはじめて気が付いた。
 こんなにさびれた神社なのに、境内には落ち葉一つ落ちていない。誰かがきちんと掃除をしているのだ。草は毟られているし、切花が石の狐のまえに備えられていた。牛乳瓶と思しい分厚いガラスの瓶に、そこらから毟ってきたのか
、しおれてしまっているがピンク色の花と、あやめに似た薄紫色の花が差してある。
「誰かがきちんと掃除とか世話をしてるってことですか?」
「高見、花は何?」
「昼咲きの月見草と、あと、しゃがの花ですね。どっちもそこら辺からむしってきたって感じ。あと、昼咲きはもう枯れてます。たぶん昨日生けたんでしょうね」
 マリエは植物に詳しい。言われて初めて、洋介は、それが店でうっているような切花なのではなく、ただの雑草なのだと気が付いた。野花であっても、季節により、意外なほどに華やかなものが咲くものだ。
「ふうん」
 慈郎は、顎をひねった。
 そのまま、洋介の手を解く。洋介は若干慌てる。けれど、慈郎の足取りは存外に確かだった。白杖で前をさぐりながら歩いていくと、神社のお社の中を覗きこむ風をする。
「……ふーん、うん。なるほど」
「なんなんですか?」
「いや、いちおういろいろとね、思うところがありまして。……ところで今何時よ、高見」
 マリエは携帯電話を見た。
「10時8分ですね」
「うわ、けっこうヤバいな。今から『いづな屋』へ行ったら、肝心の犯人を逃しちまうかも」
「タクシー呼びましょっか」
 マリエが言った瞬間、「嘘ォ!?」と慈郎と洋介の声が揃った。
 バイトをしていないため、いつでも「金が無い」とわめいているマリエとも思えない発言だ。釈然としない顔をしている二人に向かい、マリエはにっこりと笑い、のたまった。
「当然、会計は慈郎先輩持ちですからね?」
「……あ、ああ。安心したよ。お前が相変わらずで安心したぜ、高見」
 慈郎はあせったように額の汗をぬぐう。その発言もたいがいどうなのよ、と洋介は正直思った。



 商店街の裏通り。
 色あせた藍染の暖簾の向こうに、中途半端な間取りの店がある。今日も店番をしているのは狐色の髪をした、中高生くらいの女の子だった。奥だとアルバイトらしい中年の女性たちが立ち働き、小豆を煮たり、にゅうめんをゆでたりと忙しい。昼時よりも僅かに前、客は買い物の途中らしい中年女性や、暇をもてあましている風の痩せ枯れた老人ばかりだ。そこに大学生、それも、白杖をもった青年と、派手な民族衣装調の服装の女性が座ると、なんとも店の雰囲気にそぐわなくなる。一番似合うのは、おそらく自分なのだろうなあと洋介はなんとも複雑な気持ちで思った。
「ここ、夏はカキ氷が美味くて安いんだよ」
 席に着くなり、いそべ餅を注文した慈郎が言う。
「ふんわりしてて、たっぷり量があって、味も豊富でなあ。で、いちばん安いのがスイ…… みぞれ氷で、なんとたったの200円! 信じられないだろこれは!」
「確かに安いですねえ」
「ちなみに一番高いのはミルク宇治金時の栗入りだけど、それでも千円はしないね。いやあ、『いづな屋』最高!」
「それよりも、早く真相を教えてくださいよ、慈郎先輩」
 自分は前回よりも若干奮発して『栗ぜんざい』を頼んだマリエが、さっくりと話の腰を折った。
「そろそろ全部分かってるんでしょ? あんまり先を引き伸ばすのは悪趣味ですよ」
「えー、高見は風情がないなぁー」
「だって、いいかげん気になるんですもん。名探偵、皆を集めてサテと言い、なんていまどき流行りませんよ」
 推理小説を読まないくせに、ネタだけはいちいち細かいマリエだ。慈郎が「やれやれ」と軽くテーブルを手探りするので、洋介は水を手渡してやる。
「サンキュ、洋介くん。……じゃあ高見、おまえはどう見てるのよ」
「なんであたしに振りなおすかなあ…… ええとですね、とりあえず、50円玉の出所はだいたい見当が付きました」
「え?」
 思わず洋介が声を上げると、「にぶいなあ」とマリエはにやりと笑う。
「これだけ神社を回ってるんだから分かるでしょ。『賽銭』だよ」
「……!!」
 神社といえばお賽銭、確かにお約束だ。そして。
「賽銭といえば、たいてい『5円玉』ですよね。『ごえんがありますように』っていうシャレです。でも、もうちょっとお願いをフンパツしたいとか、ちょっといい気分だった、あるいは五円玉が無いときには別の小銭を入れます。つまり、『じゅうぶんごえんがありますように』……つまり、50円玉です」
「ま、人によっては『じゅうぶんごえん』で、15円…… 五円玉と十円玉を入れる人もいるだろうな。でも、それ以上を入れるやつってのはあんまりいない。ま、初詣だったりしたら千円とか一万円を出してくるやつもいるかもしれないけど、普通の神社の賽銭箱の中身だったら、最高で50円玉、ってところだろうな。できるだけ高額を手に入れたいと思ったら、50円玉をかきあつめるっきゃない、ってわけだ」
 洋介は思わず声を上げる。
「じゃあ、犯人は賽銭ドロボウ?」
「違う。っていうか、そこが重要なポイントだな。賽銭箱の中身を自由に出来る、かつ、それを誰にもとがめられない人物ってのが犯人像だと俺は睨んでる」
「宮司さんですか?」
「宮司だったらわざわざこの店で千円札に変える必要は無いねぇ」
「ええ、じゃあ……」
 言いかけたところで、からん、と店のドアベルが鳴った。
「来た?」
 慈郎が言う。
「10時半ジャスト」
 マリエが携帯電話を見る。
「犯人登場、ってね」
 しゃれめかした口調で慈郎が言う。……洋介はあわてて振り返る。店にそそくさと入ってきたのは、壮年と思しい、みすぼらしい男だった。ごま塩の髪と無精ひげ、くたびれた革靴、膝に穴の開いたズボン。男はまっすぐにカウンターに向かうと、狐色の髪のウエイトレスに声をかけようとする。だが、その瞬間、慈郎が立ち上がった。声が響いた。あまり大きくは無い声、けれど、はっきりと男に届かせる意思のある声が。

「そこのお稲荷さん、ちょっとお話があるんですが」
 
 男が、少女が、弾かれたように振り返った。
 ちゃりんちゃりん、と派手な音が響いた。床に50円玉が散乱する。洋介はとっさにその枚数を目で数えていた。穴の開いた銀色の硬貨が散らばる。その枚数は。
 20枚、だった。



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