二人は、校舎の裏にある非常階段から、校内へと侵入した。クラスへ行くのは危ない、というドラ衛門の判断だった。折り良くというかどう言うべきか、プールからの水の噴出のせいで、校内は大騒ぎになっている。混入されたガソリンに気付いた誰かが通報したようで、消防車などが近づいてくる気配もした。
「これで安心だよね、ドラ衛門?」
屋上から見下ろしながら、ノビはほっと胸をなでおろす。
「たぶん、消防署の人がガソリンを処理してくれると思うし、もう、ぼくが見た『未来』通りになる要素は無い……」
「いや」
だが、ノビの言いかけた言葉を、ドラ衛門は無慈悲に断ち切った。
「まだ『エージェント』が残っているはずだ。また、爆発というほどの規模にはならないにしろ、学校が炎上する可能性はまだある」
「え……」
ノビは声を失う。ドラ衛門は淡々と言う。
「この時代のスプリンクラーは、炎に反応して栓がはずれ、ソレによって加圧された水が噴出するという単純な仕組みになっている」
「う、うん」
「スプリンクラーがストップしたことによって、加圧されたガソリンが飛沫する可能性はなくなった。だが、一撃目の『栓』を外した『炎』は、確かにどこかに設置されているはずだ」
「……!」
つまり、ノビが『視た』、学校の爆破には、そのスタートとなるための一種の『雷管』となる存在が仕掛けられていたということだ。
あまり大規模なものである必要は無い。まず、一つ目の『雷管』が爆発し、スプリンクラーの栓を吹き飛ばす。それによって発生した炎が次の栓を破壊し、噴出したガソリンに引火する。―――そうして、学校は、連鎖的に発生するガソリンの爆発で、炎に包まれる。
ノビにも、ようやく、事態が理解されてくる。それを見て取ったらしいドラ衛門は無感情に続ける。
「まだ配管の中にはガソリンが残っている。スプリンクラーを作動させるための爆発物が作動した場合、そのガソリンが炎上する可能性がある」
「そ、それって、大火事になるってこと!?」
ドラ衛門は、軽く、校庭のほうへと視線をやった。
「校内の退避は、既に始まっているようだ。消防隊も待機していることだし、さして大事にはなるまい」
「よかった……」
胸をなでおろすノビに、「だが」とドラ衛門は無慈悲に言った。
「『エージェント』はまだあきらめていない可能性が高い。退避した生徒の中にお前がいないことに気付けば、必然的に校内へと戻ってくる。場合によっては火災の発生をカモフラージュにして、お前を狙ってくる可能性もある」
「……!!」
「お前は、友人が炎の中に取り残されて助けを求めていた場合、どうする?」
あまりといえば、あまりの問いかけに、ノビは再び絶句する。もう、今日何度目になるか分からない。
炎の中に友人たちが、という。
自分は臆病だから逃げるかもしれない、とノビは反射的に思った。
―――だが。
思い出す。『既に体験した未来』のことを。
あのとき、ノビは、出来杉をかばうために、しず香の前に立ちふさがりはしなかったか?
その結果、『死んだ』のではないか?
「た……」
ノビは、ためらいながら、言わざるを得なかった。つま先に視線が落ちる。
「助けに、行っちゃう、かも……」
「そうか」
ドラ衛門はその答えに関して、なんら、感情的なコメントをさしはさまなかった。代わりにホルダーから短いペンのようなものを出し、ノビに手渡す。『除霊ペン』とノビが呼んだモノだった。ノビはドラ衛門を見上げる。ドラ衛門は答える。
「万が一の場合、それを使え」
「え」
「頚部でなくとも、ダメージは与えられる。部位によってはショックで気絶させることも可能だ。護身用だと思え」
「―――」
ドラ衛門は、無表情に言った。
「護衛のためにはお前から離れるわけには行かない。だが、『エージェント』を放置するわけにも行かない。必然的にお前を連れたまま、エージェントと戦いざるを得ない。無論俺は身を挺してでもお前をかばうことを最優先にするが、万が一の事態には備えておけ」
「ちょっ―――」
「So it goes.(そういうものだ)」
ノビは、まじまじと、ドラ衛門の顔を見つめた。
彼は無表情だ。はじめからそうだ。さっき見た表情は見間違いだったのだろうか。ノビは手にしたペンへと視線を落とし、それから、また、ドラ衛門を見上げた。
ぎゅっ、と『除霊ペン』を、握り締める。
「……うん」
ドラ衛門はそれを見て、小さくうなずいた。そして、身に付けていたジャケットを脱ぐ。重いジャケットをいきなりばさりとかぶせかけられて、ノビは慌てた。
「な、何!?」
「そのジャケットの生地には、対高速動体防御フィールドが組み込まれている。対ショック、防刃としての効果もある。『活性者』相手ならば気休めにしかならんかもしれん。だが、無いよりはましだ」
ドラ衛門はジャケットの下には、袖の無い黒いアンダーを着ているだけだった。首についた大きな鈴のチョーカーが目立つ。一つの無駄もなく、しなやかな筋肉に覆われた肉体が一目で分かった。肩の辺りに小さく、数字のようなものがペイントされていた。……ペイントなのだろうか。あるいはタトゥかもしれない。
ノビは我に返り、身体にのしかかるジャケットの重さにぎょっとする。慌てて反論する。
「でも、敵に向き合うのはドラ衛門なんでしょ? だったら、ぼくが着てるより、ドラ衛門が着ているほうがいいじゃないか!」
「俺は傷ついても治る。お前を守るのが俺の使命だ。ならば、優先順位はお前のほうが上だ」
当たり前のことを言っている、とでもいいたげな言い方だった。ノビは弱弱しく反論しようとする。
「で、でも、もしもドラ衛門が大怪我したら……」
思い出す。『未来』で、自分がどういう死に方をしたか。
正体不明の『手』に頚椎を粉砕されて、即死した。あの『手』がどれだけの力を持っているのかは分からないが、仮にターゲットになったなら、到底無事ではいられまい。
けれど、その事実は、ドラ衛門にも既に伝えてあったのだ。こともなげに言う。
「ロボットは壊れても戻る。人間は戻らない。So it goes.(そういうものだ)」
ドラ衛門は、断固とした口調で言った。
「俺の使命は、お前を守ることだ」
「……」
守る、守る、というけれども。
……なぜ、自分というような人間が、そこまでして守られる価値をもっているというのだろう?
ノビはためらいながら口を開きかける。けれど。
「……」
ふいに、無言でドラ衛門が立ち上がり、返事を飲み込んだ。
眼をわずかに細め、音に耳を澄ましている。やがてドラ衛門はちかくの壁に耳を当てた。何を聞いているんだろう? 戸惑うノビの前で、ドラ衛門はしばらく黙り込んでいたが。
「侵入者を発見」
ふいに呟かれる言葉に、ノビは、度肝を抜かれる。
「え…… えっ!?」
「身長…… 体重…… 運動能力…… 推測するに子どもだろう。負傷はしていない。対象を特定は出来ないが、おそらく、お前と同じくらいの年齢だ」
「し、しず香ちゃ……!?」
ノビが絶句すると同時に、ドラ衛門が立ち上がる。その巨躯に見合わぬ、まるで、体重を持たぬかのようなしなやかな動作。
「対応すべきものは二つ。『エージェント』と発火トラップ。『エージェント』の能力は、推測されるに『幻肢痛』タイプ」
ならば、とドラ衛門は短く言った。
「遠距離戦で、決着をつける」
「え」
彼の言葉はひどく淡々としていた。そして、感情を含めていない。
「お前の言葉から分析するに、おそらくその『源しず香』という少女の持っている『妄想』は、『幻肢痛』と通称されるタイプのものだ」
「げ…… げん、し……?」
ノビは頭を必死で回転させる。どこかで聞いたことがあるかもしれない。そう、たとえばテレビの健康系バラエティ番組とかで。
「それって、たしか、腕とか足とかをなくした人が、無くなったはずの場所がイタイ…… ってヤツだよね?」
「そうだ。あれと原理は似ている」
ノビは見たものを思い出す。虚空に浮かんでいた、『白い腕』を。
「『幻肢痛』の持ち主は、自分の腕や足などの器官の一部を『外部化』できる。それ以上はバリエーションが多すぎて特定はできん。だが、最悪の場合、相手は『視認できる距離』であれば、問答無用でこちらを攻撃することが出来るかもしれん」
「それって、望遠鏡とか鏡で見た場合も!?」
「So it goes.(そういうものだ)」
考えてみればひどく理不尽な話をさらりと流す。ノビは納得がいかないままに立ち上がる。立ち上がろうとして、ふと、膝が震えていることに気付く。
手が、冷たくて、気持ち悪い。
冷たいくせに、ぐっしょりと汗で濡れている。
「う……」
そうだ。
思い出した瞬間、ぐっと胃が喉までせりあがってくるように感じる。
たしかに自分は、あの『白い腕』に、殺されたのだ。
「……そ、そうだよ、ドラ衛門。あの腕……!!」
あの腕は、自分の喉に『触れた』だけだった。
にも関わらず、ほんの一秒前後の後、ノビは自分の頚椎が完全に破壊されるのを感じた。意識は暗転し、『死んだ』。
だが、そんなことがどうして可能なのだろうか?
あの腕は、何も『振りかぶり』も、『掴みかかり』もしなかった。慣性という力を得ない手が、純粋な握力だけで自分の頚椎を破壊したとでも? そんな仮定はナンセンスなような気がした。あの手は純粋に『握力』だけで攻撃していた…… だが、人間の首というものは、『重力』や『慣性』の力を借りないで、簡単に破壊されてしまうほどもろくはない。筋肉や骨組織によって何重にも保護されている器官…… それを、あの『手』は、どうやって破壊したというのだろうか。それに必要な『力』を得ないままで?
つっかかりつっかり、そういった意味合いのことを説明する間、ドラ衛門は表情一つなく、口をさしはさむこともなく、ただ、黙って話を聞いていた。
そして、やがて、口を開く。
「推測は出来る。非常に稀有な例だが、『幻肢痛』にはそういった能力を持つパターンもある―――」
そして、ドラ衛門の口にした仮定は、ノビの想像を超えたものだった。
……その言い方は正しくは無い。
呆然としているノビを置いて、ドラ衛門は屋上の端へと歩み寄る。見下ろす校庭には消防車やパトカーが駆けつけ、騒ぎは拡大しつつあるようだ。銀色の耐熱服の消防士たちがテープを張り巡らせ、校舎への立ち入りを制限し始めている。当然だろう。現在、校舎はまるごと一つの爆弾と化しているに等しい。水が加えられている分炸裂力では若干劣るが、それでも、校舎一つを火の海へ変えるのに十分なほどのポテンシャルは保たれ続けているのだから。
「どうする、ノビ」
ノビは、声をかけられて、我に返る。
「あ……」
「お前は退避するか?」
ドラ衛門の無表情な声に、ノビは、ぎょっとした。
「た、退避って!?」
「難しい選択肢だ。もしも仮に『幻肢痛』に想定しうる最悪のケースの場合、俺の側を離れることは、お前にとって致命的な結果を招きかねない。だが、俺と同行してエージェントに立ち向かうことには、当然だが、危険が付きまとう」
「……」
返事を無くす。そんなノビに、その無表情な顔も崩さぬままに、ドラ衛門は問いかけた。
「ノビ、お前はどうしたい?」
「え、そ、あの」
「お前の無事が最優先だ。好きなほうを選べ」
「―――」
ずるい。
反射的に、そう思った。
なぜそんな重大なところにきて、勝手に決断をこちらに押し付けるのだ!
「ずるいよ、ドラ衛門!! なんでそんな重要なとこだけぼくに決めさせるのっ!?」
「俺が決めたほうが良いか? ならば、俺に予想できる範囲内で、もっともお前の安全な選択肢を取るだけだ。だが、実際のところ、どちらの選択肢を選ぼうとも、お前の生存率にはさして差がない」
かりに分かれて行動した場合、もしもドラ衛門が倒されれば、ノビを守るものは存在しない。無防備なまま、刺客の前へと放り出されるだけだ。だが、もしも同行した場合、ドラ衛門はノビを守りながら戦うという重大なハンデを得る。その結果が、彼に対して、いかなる不利をもたらさないとも限らない。
そこまで考えて、ノビは、ハッとした。
だが、勝手に現れて勝手にノビを守っているこの『自称、未来から来たネコ型ロボット』は…… 実際のところ、何一つとしてノビに強要をしては居ないのだ、と不意に気付く。
ノビが、無事に。
ノビの、安全のために。
……だが、それを最優先にした結果、『他の誰か』はどうなるのだ? そんな想像が、ふいに、冷たい舌のように、背中を舐めた。
他の誰か。たとえば優。たとえばしず香。たとえば出来杉。そして……
そろり、と見上げたネコ型ロボットは、鉄面皮のまま。
「も、もしも負けたら…… どうなるの?」
「俺は完全に機能停止するまで戦い止めん。なんとしても、お前を守る」
ネコ型ロボットは、潔いというよりも、完全な無感情の決然さで、言い放った。
「それが俺の存在意義だ。So it goes.(そういうものだ)」
ぐらり、と世界が傾くような気がした。
それは、つまり。
彼は――― ノビのために、『死ぬ』と言っているのだ。
「は……あははは」
自分の空明るい笑い声が、耳障りだった。
「そんなバカなことって無いでしょ。ねえ、だってぼくたち、まだ会ってからほんの一時間くらいしか経ってないんだし……ッ!!」
けれど、ノビは、その自分の答えの中に、血管に氷水が流れるような空々しさを感じる。
なぜならノビは、見たのだ。
焼け爛れ、ガラスの破片にまみれ、火ぶくれた肌が剥けて血まみれになった無数の死体を。
そして――― 紛れも無い『殺意』というものをもって自分を見た存在のことを。
あれが『リアリティ』だとするのなら、自分のひ弱な現実逃避には紙の盾ほどの防御力も無い。もしも眼を逸らせば死ぬ。そして死ぬのは、間違いなく『自分だけ』ではない。
「ドラ、衛門」
ノビは弱弱しく眼を上げる。ドラ衛門は動かない。無機質な茶色い眼が、ノビを見下ろしている。透き通ったガラス玉の眼が。その非人間的な印象が、『瞬きの少なさ』からもたらされるものだとふいにノビは気付いた。ドラ衛門はあまり瞬きをしない。何故だろう? カチリ、と頭の中でピースがかみ合う。その冷酷な答え。
隙になるから。
相手が銃器で武装しているとき――― 『瞬きほどの間』は、致命的な隙となる。
それほどに、ドラ衛門は、『戦うためだけ』に、作られている。
決断をしなければいけない、とノビの頭の中で、何かが叫んだ。
渇いた喉に飲み込む唾液は、血とガソリンの臭いがした。
ノビは。
ノビの、答えは―――
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