5.

 がらんとしたクラスの、葉桜茂る校庭を背後にした机の列のなかの真ん中あたりに、ぽつんと女の子が座っていた。

 可愛い。

 ……信ですら、一言目の感想は、それだった。
 座っていても分かる。小柄な、もっと言うと、『ちっちゃな』女の子だ。実にトラッドなデザインのツーピースのセーラー服を着ていた。白いラインの入った衿と、赤いスカーフ。きっちりとプリーツが入った紺サージのスカート。
 きちんとそろえたスカートの下から伸びる足が、細かった。細いけれど起伏が無いわけではなく、まるでバンビの足のようにすらりとしていた。しかもなぜか靴下を履かず、ぶかぶかの上靴を素足に直接履いていた。ちいさくて丸いかかとが見えていた。
 驚くほどに肌がきれいだった。特筆するほど色白ではなかったが、かすかに桜色のかかった健康的な肌色をしている。肌理の細かさなど、まるで桃色珊瑚を磨いたようだった。頭は小さく、手などはまるで子どもの手のようだ。服の上からでもすっぽりと腕に収まるほどに腰が細く、肩幅も小さいということがわかる。もしかしたら中学生なのかもしれない、と思うくらいに小柄な、そして、どことなく子どものように庇護欲をそそる雰囲気の女の子だった。
 特筆すべきは目だろう。きりっとした眉の下、典型的な日本人らしいひかえめな奥二重。まつげが濃くて長く、そして、黒目がちな眼だ。そんな気配は微塵も無いにも関わらず、うるんで見える感じがなんだか今にも泣き出しそうで、妙に守ってあげたくなるような雰囲気がある。黒目がちでつぶらなその目が、無感情さの裏にやや戸惑いを含んで、こちらをうかがっている。
 髪は真っ黒で長くは無かった。頭の上にはなぜかやや大きめの学生帽が載っていた。セーラー服と学生帽というミスマッチ。ついでに、なぜか机の横に、持ち手のところがケロヨン風のカエルの顔になったファンシーな傘がたてかけられているということに信は気付いた。
 なるほど、みんなが騒ぐはずだろう。
 男子校に女の子だった。
 しかもなぜかセーラー服の。
 しかも、とびきり、ものすごく、をつけてもいいくらい可愛い子だった。
 信も驚いた。だがしかし、さらにすごかったのは、傍らの耕太郎の反応だった。
「おおっ…… ぬおおッ……」
 鼻の下が、限界まで伸びていた。
「んんんんんおおおおおおッ!! ……ぬふッ!」
「だ、大丈夫、安藤くん?」
 思わず信は両手で耕太郎の腕を掴む。耕太郎のためというより、むしろ、見知らぬ女の子の安全のために。
「いやァ…… おおう、あふゥ。……や、やばいところだったぜ、蓮室……!」
 耕太郎は妙に怪しげな息を鼻から吐き出し、そして、胸をおさえていた手を離し、額に滲んでいた汗をぬぐった。
 なにがやばいのか、さっぱり分からなかった。
 信はむしろあきれ返るが、しかし、耕太郎は怯まない。誰もが彼女の愛らしくも可憐すぎるたたずまいに声をかけ損ねていたところが、しかし、安藤・M・耕太郎だけはスケベ心ですべてを振り切る。ダッシュ、というよりも机を掻き分ける勢いで少女の前にやってくると、膝をついて騎士のごとくすわり、片腕を差し出したのだ。
「お嬢さん! この私立鶴岡学園高等学校へようこそ! オレはこの学校のイケメン代表、安藤・M・耕太郎と申しますッ!」
 ツッコミどころの多すぎる発言であるが、しかし、あまりといえばあまりの展開に固唾を呑んで、誰も声をかけられない。謎の女の子は、かすかに不審げに長いまつげをまたたく。
「いやあ、ようこそ転校してきてくれましたッ! うちの学校にはアナタのよーな方が必要だったんです! オレたちの青春をスゥイート・ストロベリーに彩ってくれるアナタのような可憐なアイドルが!」
「ちょっ、安藤くん!?」
 さすがに信が慌て出す。なんで転校生なのだ。男子校にいきなり女子が転校してくるわけがあるか。
「おちついてよ安藤くん! うち男子校だよ! なんで女の子が転校してくるんだよ!?」
 おもわずツッコミを入れる信に、しかし、耕太郎は自信たっぷりに言い切る。
「この子のかぶってる帽子を見ろよ。うちの校章が入ってるだろ。うちには女子制服がないから、せめてこれだけでもかぶってきてくれたんだぜ…… その気持ちが分からないのかよお前は…… それに、今日日、常識だぜ?」
 事実、彼女がかぶっているやや大きめの学生帽の正面には、鶴岡学園の校章が光っていたが。信は思わず叫ぶ。
「何が!」
「いきなり男子校に女子がひとり転校そしてストロベリーパラダイス! あるいは女子高に手続き間違いで男子が一人転校しちゃってエロス・パラダ…… あふぅ」
 耕太郎の脳は煮えている、と信は思った。そして出ている。何かが。なんか汁みたいなのが。
 女の子は凛々しい眉を微かに寄せて、不審げに二人を、さらにはその後ろの押すな押すなの男子の群れを見る。信は慌てて耕太郎を押しのけ、彼女に向かって弁解をした。
「ご、ごめんね、いきなりみんなで驚かせちゃって…… はは、まさか転校生だなんて……」
「そのとおりだ」
 彼女は重々しく言った。声は高く、小鳥のように可憐だったが、口調は妙に固くて古風だった。
「お前ら、俺が分からないのか?」
「……え?」
「蓮室…… 俺だ。鳴神だ」
 信は、凍りついた。
 なるかみ。
 珍しい苗字である。
 信は、『鳴神猛』のほかに、その苗字を持つ人間を知らない。
 信は、あやうく凍りつきそうになる思考回路を、あわてて高速で回転させた。
「え…… き、きみ、鳴神くんの妹さん…… とか?」
 しかし昨日は猛の家にはこんな子はいなかった。そう思って混乱する信に、少女は、ふう、と可愛らしくため息をついた。
「やはりお前にも分からんか…… 朝から誰も俺を俺だとわかってくれず、困っていたところだ。だが、これを見れば分かるだろう」
 少女はセーラー服の片袖をめくった。左手の袖を。その腕に、包帯が巻かれている。
 丁度昨日、猛が刺客の剣を受けたところに。
「昨日の傷だ」
 少女は言う。なおも可憐な高い声で。
「え…… え?」
「これでも分からんか。俺だ。鳴神猛だ。……お前も信じてくれないのか、蓮室」
 びしっ、と自分の脳が凍りつく音が聞こえるような気がした。
 今度こそ、信は、氷の塊と化した。
 かすかに眉を寄せた以外は無感情風。その表情のせいでことごとく敬遠された上に、裏で囁かれるあだ名といえば『帝国軍人』と言えば、たしかに鳴神猛その人に違いない。そして昨日の襲撃劇については、事実、猛と信、そして、昨日の猛の祖父に加えて、例の金髪の男しか知らないはずだった。
 だが、目の前にいる女の子は、可憐な黒目がちの眼で信のほうを見上げている。無表情といえば無表情だが、しかし、それを形容する言葉は『清純派』とか『可憐系』といったところだろう。これだけ可愛らしければアイドル系とでも言うべきだが、アイドル、と言うにはすれていなさすぎる。どことなく無垢で無防備なたたずまい。強いて言えば『妹系』といったところか。
 どこをどういじれば、この少女が、あの冷静沈着にして、『帝国軍人』『鋼鉄の漢』とまで呼ばれる鳴神猛と結びつくというのか。
 事実、少女のかぶっている学生帽は、猛がほとんどいつであっても手放さないあの学生帽と、同じもののように思われたが。
「は…… ははは、そんな、人を騙さないでよ……」
 信がかすれた声で笑うと、少女は、眉を寄せた。思案することしばし。桜色の可憐な唇が開く。
「では、俺の腰には痣があると話したことは無かったか?」
 桜の花びらのような形の痣が、と少女は言う。そんな話を聞いたような気がするが、しかし、はっきりとは思い出せない。だいたい信は混乱していた。「え……ああ?」とあいまいな答えを返していると、少女は席から立ち上がる。立ってみるとなおさら小柄だった。せいぜいが150cmを超えるかどうか、というくらいだろう。
「見れば、蓮室も納得するだろう」
 言うなり、少女は、セーラー服の裾をめくりあげようとする。チラリとお腹が見えた。耕太郎の鼻から機関車のように蒸気、もとい鼻息が吹いた。
「ぬ、ぬはああああッ!!」
「や、やめ―――ッ!!」
 信は思わず絶叫した。あわてて少女の腕を押さえつける。そして、彼女の手を引っつかんだ。そのままとにかく教室を出るしかない。だが、すかさず少女の足に耕太郎がしがみついた。信は慌てた。
「なにやってんだよ安藤くんッ!!」
「まって! いかないで! せめて見せてェ! おヘソだけでいいから!」
「アホかーッ!! セクハラ禁止ー!! 犯罪ッ! おまわりさーん!!」
 げしげしと耕太郎を蹴る信。無表情で腕と足とを引っ張られる少女。鼻の下を伸ばしまくって少女の足にしがみつき、ついでにどさくさにまぎれてバンビのような足にほお擦りをしている耕太郎。カオスのきわみである。少なくとも男子校であっていい光景ではない。
 そこに、誰が呼んだのか、ばたばたと人が近づいてくる気配がある。たぶん教師だ。信は慌てた。見つかるとヤバイ。なんと弁解すればいいのだ!
「む、いかん」
 少女も、ほぼ同じくに、同じことを思ったらしい。
「場所を変えねば。来い、蓮室」
 少女は足に耕太郎をくっつけたまま、カエルの傘を片手に取る。歩き出した。どこへ行くのかと思ったら窓へ向かった。そして、窓際の机を足がかりにひらりと窓を乗り越える。
 耕太郎はまだくっついていた。
 唖然とする、というよりも、なんとコメントをしていいのか分からないでいる信に、少女は、「来い」と言った。
 そのままずるずると耕太郎を引きずりながら、歩いていく。
 ……確実に自分よりも重い耕太郎を引きずっているが、足取りはしかし、乱れひとつない。
 少女がすごいのか、耕太郎がすごいのか、信にはさっぱり分からなかった。
 だがしかし、来いといわれたからには、行かねばなるまい。
「ま、待って! 今行く!」
 慌てて信も窓を乗り越える。ちょうどその瞬間に背後で教室に誰かが飛び込み、叫んだようだった。信は慌てて少女の後を追って走り出した。




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