16



 そしてその朝早く、村の教会の前の広場に、若者たちが集められた。
 それぞれ狩り姿に身を包み、深いブーツにゲートルを巻き、動きやすいチュニックに身を包んでいる。樫の弓を肩にかけたもの、大振りなハンティングナイフを腰からつるしたもの。足元には犬たちが大人しく伏し、あるいは舌を吐いてきょろきょろと周囲を見回している。
 そんな中、ブルーノの腰には、まだ真新しい、狼の尾がつるされていた。
 足元には忠実な狩り犬が伏せている。兄たちもまた狩り装束に身を包み、あるいは無言で立ち、あるいは弓弦を神経質に確かめている。建物の窓には女たちの姿もあった。皆、不安げな目で、若者たちの様子を眺めている。
 そして、若者たちのいくたりかは、首から、狼の牙を皮ひもに通したものを下げていた。
 それは、それぞれの家の父親たちから手渡されたもの、お守りと言われて渡されたものだ。だが、狼の牙が狼をよけるという話は誰一人として聞いたことも無く、いささかそれは奇妙なまじないだと皆が思っていた。
 ブルーノは、己の首元を確かめた。そこには狼の牙は無い。代わりに、革紐に通した銀の指輪がつるされている。
 妹の指輪だった。彼女が大切にしていたもの。かつて、街で父親が買ってきた指輪だ。妹の、ほそくうつくしい指を飾っていた指輪だ。
 そしてブルーノは顔を上げて、傍らを見た。そこには、暗い茶色の髪を背中で束ねた、長身の青年が立っている。
 カスパール。
 腰には銀の剣を佩き、背には強弓を負っている。細身に見えて今では力比べでも誰にも負けない。ただの農村の男たちに過ぎない村人たちと違い、彼は王都で学ぶ騎士見習いなのだ。
 だが、臆病者であることには、変わりない、とブルーノは思う。そして奥歯をかみ締めた。
 人狼だかなんだか知らないが、たかが狼を恐れて、妹の犠牲を諾々と受け入れろと? できるわけがない。
 狼どもを屠る。そして、妹の仇をとってやるのだ。―――臆病者のカスパールなどに、後れを取ってなるものか!
「皆のもの、集まったか」
 そして、若者たちの前に、村長が現れた。
 かつて優秀な狩人だった彼は、今は高齢で、村に残ることとなっている。けれど、彼の息子たちが先陣を切り、父の言葉を頼りに指揮を取ることとなっていた。ある意味においては、彼こそが此度の『狩り』の首魁でもあるのだ。
 彼は、まず、どこに狼たちの巣があるのか、どう追い込むか、について事細かに説明をした。
「狼どもが救っているのは、おそらく、ドロウの村跡のあたりだろう。散開してはやつらに分がある。我々はベルツの村跡を包囲し、そこに住む狼どもを主に狩り立てる。孕み雌と仔どもを根絶やしにしてやれば、やつらもしばらくは村の傍に近寄らなくなるはずだ」
 狩り笛を吹いて驚かせ、けして、彼らに攻撃の隙を与えないこと。森の中ではなく、開けた場所へとおびき出すこと。そして、深追いをすることなく、常に狩り笛でお互いの場所を確認しながら進むこと。
 男たちは皆、兎の骨で作った狩り笛を首からさげていた。森のほとりで暮らしているものだったら、誰でも、己の声と同じくのように操ることの出来る笛だ。音は高くてよく通り、誰がどこにいるのかをすぐに知ることが出来る。
「日没までに必ず帰れ。獲物を持ち帰ることに執着するな。狼の毛皮など、所詮、物の役には立たん。やつらを根絶やしにすることが目的でもない。それを忘れるな。あともう一つ」
 村長は短く言葉を切った。
「もう一つ目的がある。人探しだ」
 若者たちがざわめいた。どういう意味だ? 人探しだと?
「知っているものもいるかもしれないが、ヘイズ家の下働きの娘が、森へと逃げ出した」
 村長は、淡々とした口調で言った。
「何を考えたのかは分からんが、このまま放置しておくと、じきに、狼に食われてしまうことだろう。生きているのなら連れ戻せ。さもないと、狼どもが人の肉に味を占めて、また村の女や子供を襲うかもしれん。……いいか、見つけたらかならず連れ戻せ!」
 いささか不可解な命令に、男たち、若者たちは顔を見合わせる。けれども、村長はやや強引に話を締めくくった。
「それでは、神のお守りがあるように。神のご加護を!」
「ご加護を!」
 若者たちが声を合わせた。
 それぞれに声を掛け合い、何人かずつ集まりながら、男たち、若者たちが移動し始める。それを眺めていて、ふと、ブルーノは、奇妙なことに気づいた。
 特に年かさの男たちが、何人か、村長の周りに集まっているのだ。
 ぼそぼそと何かを話し合い、暗い表情で顔をつき合わせている。なんだろう。……そう思っていると、ふと、傍らから声をかけられた。
「ブルーノ」
「カスパール」
 カスパールは、その青灰色の目で、ひかえめにブルーノの顔を覗き込んだ。
「昨日、ドロテアが目覚めたって……」
 もう、皆に知れ渡っているのか。ブルーノは苦々しい思いで答えた。
「……ああ」
 ―――今朝様子を見てきた妹は、土気色の顔をして、昏々と眠り続けていた。
 げっそりと肉の落ちた頬は、かつてやわらかな面差しをしていた愛しい妹とも思えなかった。ましてや昨夜のあの騒ぎだ、とブルーノは苦々しく思う。
 昨晩、ドロテアは、狼に襲われて初めて、目を覚ましたのだ。
 だが、錯乱した彼女は異様な声でわめきちらし、暴れ続け、最終的には芥子を煎じたものを飲ませて眠らせなければならなかった。村の薬草使いの老婆は、それでも意識を取り戻したのは良い傾向だ、と言った。だが、ブルーノにしても、まわりのものたちにしても、それがただの気休めだということは重々承知していた。
 ―――仮にまた意識を取り戻したとしても、あれでは、妹は二度と正気に返らないかもしれない。
 それほど鬼気迫った様子だったのだ。昨晩の妹は。
「けれど、目が覚めてよかった。これで少しは良くなるといいんだけれど」
 言うカスパールを、ブルーノは、殺気がこもった目でにらみつけた。
 この若造に何が分かる。自分はドロテアの兄なのだ。この内側から胸を掻き毟るような哀しみなど、カスパールなどに分かるわけが無い。
 ブルーノは吐き捨てた。
「人狼だかなんだか知らないが、狼どもは、俺がみんなぶちころしてやる」
 そして、腰にさした大振りなナイフを抜く。青みかかった抜き身の刃が、朝の光を受けて光った。ブルーノはそれをカスパールにつきつけた。涼しげな目元すれすれに突きつけて、にらみつける。
「臆病者のお前は後ろで黙っているがいい。俺は狼どもの毛皮をみんな剥いで、ドロテアへの土産にしてやるんだからな」
 カスパールはわずかにその目を揺らがせた。しかし、表情一つ変えることはない。
「―――気をつけてくれ、ブルーノ」
 代わりに、その声には、案ずるような響きがにじんでいた。
「君が傷ついたら、ドロテアもきっと悲しむだろう」
「お前に妹の何が分かる!」
 ブルーノはカッとなって怒鳴りつける。だが、そこに兄のフランツが割って入った。
「やめろ、ブルーノ」
「兄貴」
 今年で27になるフランツ。妻もあれば子もある。もう若者という年ではない。フランツはその茶色い瞳で、弟を見、それからカスパールを見た。
「こんなところで喧嘩をして何になるんだ。落ち着け。……カスパール、お前もだ」
 カスパールの青灰色の目が、ゆらいだ。
「妹のことを心配してくれるのはありがたいが、ドロテアはお前にとってなんでもない。だが、俺たちにとっては大事な妹なんだ」
「……それは」
「あまり妹について口出しをしないでくれ。俺たちは俺たちのやりかたで狼を狩る」
「それは」
 カスパールは口を開きかけ、何か言い返しかけたが、けれど、中途で黙り込んだ。
 ブルーノは地面に唾を吐いた。
「こんなやつに何を言っても無駄だ、兄貴。……おまえは引っ込んでろ。居もしない人狼を恐れて、びくびくしているがいいさ」
 そしてブルーノはカスパールに背を向け、荒い足取りで歩き出す。兄はやや気遣わしげに後ろを見ていたが、ブルーノに並んだ。犬も一緒に歩き出す。
 その背を、カスパールはしばらくの間、なんともいえない感情のこもった目で見つめていたが、やがて、同じように歩き出したようだった。
 ブルーノは振り返らなかった。カスパールの言葉を振りちぎるように、心の中で繰り返す。
 ……人狼などいるものか。
 ……人狼など恐ろしいものか。
 だが、心の中の別の部分がつぶやく。もしも人狼がいなかったとしたら、妹が獣に襲われたとき、地面に残っていたあの巨大な足跡はなんだったんだろう? 喰いもしない獲物を襲ったのはなぜ? あんな高い樹のうえに犠牲者を吊り上げるような生き物が、普通の狼であることなんてあるんだろうか?
 だが、ブルーノは、そんな心の中のつぶやきを、無理やりに押し殺し、飲み下す。
 人狼などいるもんか。あれは、臆病者のカスパールが、勝手に不安がっているだけだ。
 そう思わないと――― 気力がくじけてしまいそうだった。
 そして、それはおそらく、村人たちは、皆、同じことで。

 若者たち、男たちは、それぞれの思いや不安を胸に歩き出した。……森へ向かって。






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